稽古日誌

【稽古日誌】2021/7/26 喜多健介/容原静

◎前日まで
演出としては生きることに拘った。其々に。
波及や伝えるまでは行っていない。特別な場は来月再来月になるような稽古をしていた。
直前に演出として強く関わる機会があって、役者と演出としての視点が二転三転。
自分に対する生命への拘りが強くなるなか、皆それぞれの目的意識等との擦り合わせはしていない。
自分の思念状態は良いなか、前日みんなとお話しするなかで全員に優しさを届ける考えをもつ。花を咲かせる。
それを備えることで自分の鋭さに雲がかかった。

◎初日
自分の中で無理に繕うことなく向き合う。
特別感はない。やろうという何かはない。
関わるものの花を咲かせることを考えた。
世界との接し方。音楽や小説を無理やり見てもなんの心も響かない。
自分たちのホームで配信。仲間内のエネルギーを届ける。仲間との関係を魅せていく視点。
初日はアップのようなものだった。良き芝居にはならなかった。
やっていく中で自分はどのように生きているかを考える。
呼吸の使い方、いままでやってきたこともそのまま出る。
やり切れると考えたものが出来なかったりそのまた逆もあった。
セリフが入ってこない。興味を持てない。
良いところがほんの少しあれば良い方か。
何故このようにして生きることは叶わなかったか。無情さ、やりきれない辛さが最後の方でセリフや動きに込めた。

◎二日目
彰信だった。向かう時。先生は何を感じるか。
芝居に立てば自分自身が見える。自分は生きることにそこまで懸命ではない。私は生き抜いているの塊ではない。どういう風に言葉を形成し生きているかゆるゆると浸透していく。
歌を歌う。歌は台詞。自分の気持ちを誰に伝えるか。
初めの舞台は少し変化。台本ありでの芝居の呼吸が少しずつ。しかし大きくできるところで出来なかったり、何も掴み切ることができなかった場面もあった。直澄さんがすごく闘いてぇと来た時に自分は別のことを進行させることを優先させたが、終わった後に向き合っても良かったと思った。関係性はもっと密になっていける。
千秋楽は大暴れをした。今までで一番芝居ができた。しかしまだまだだった。出来なかった、遠慮をしている部分が多数ある。
実際の感覚の滲みを浮かび上がらせる。一つの正解を示す。役者としての才覚を。
この人には何が出来るかを考えて芝居をした。やる前に共演者のことを考えた。どういう役者、どういう風に考えて行動する? あくまで振り幅となるように事前に考えた。
それぞれの頭の中に自分の筋道がある。変身は難しい。じわじわと変容は可能ではあるが。その部分と向き合い続けている。最後のやつではほんの少しアクションにまで出せた。相手の反応は大概決まっている。ガチガチならガチガチなりにアクションすれば魅せられる部分もある。工夫か? わからん。
花を咲かせようとしたが、まだまだ思いや生きた結果自体薄いなと思った。行動すること。見つめること。やっていく。

そのた
自分は今将来役者として何かしたいものが出来たときに出来る様に役者をやっている。向いていると自覚しながら、特別な目標は今の時点で言葉にない。
役者をやることから小学生の頃から遠ざけてきたので十五年ほどの時間で何もしてなかった部分と向き合う日々。楓で出るから服装等も整えようとして一人で女性の化粧品を買いに行った時は身体が震えたり汗をかいたり、調べる思考が止まったりして長時間要した。これからもそういうことばかりだと思う。
役でじぶんをするときに必要な要素を避けたりする。向き合ってプレッシャーや行為に向き合っていく。
苦しめば苦しむほど成果が出る。けだし、苦しみのジャンルは選択すること。
自分を信頼すること。