稽古日誌

演技が変わる瞬間:「結果」から「プロセス」へのシフト

〜俳優の「仕事」と「技術」を分ける、ある稽古での気づき〜


「やっと、演出ができる段階に来たね」

2025年11月9日の稽古。一通りシーンを演じ終えた後、演出家からそんな言葉がかけられました。

「悪くない」——そう評価されたとき、私たちはようやく演技指導のフェーズを抜け、本格的な作品創りのステージに立てたことを実感しました。

しかし、ここに至るまでには、多くの俳優が陥りがちな「罠」がありました。それは、演技を「結果」で捉えてしまうという罠です。

この日の稽古で学んだのは、技術論だけではありません。俳優として、いや、表現者として最も大切な「意識の向け方」についてでした。


なぜ「相手を見る」だけでは芝居にならないのか?

「もっと相手のことを見て」 「悲しい気持ちで演じて」

こうした指示を受けたとき、あなたはどう対応しますか?

多くの俳優は、これらを「結果」として実行しようとします。相手を凝視する、悲しい表情を作る——しかし、そこに大きな落とし穴があります。

脳内で起こる「逆算」現象

結果を先に実行すると、脳は自動的に「なぜそれをしているのか?」と問い始めます。

これは、数学の問題で答えだけを書いて、後から「どうやってこの答えを出したんだっけ?」と考えるようなもの。この逆算作業が、**最も避けたい「自分のことを考える芝居」**を引き起こすのです。

演出家はこれを「ビア・ネガティブ」——何かを加えるのではなく、やめていく——という考え方で説明しました。俳優の成長とは、余計なものを削ぎ落としていくプロセスなのです。


「仕事」と「技術」を分けて考える

この日の稽古で最も重要だったのが、この区別でした。

俳優の「仕事」 = 作品を創り上げること
俳優の「技術」 = そのために必要な知識やスキル

この二つを混同すると、「自分がうまくできているか」ばかりを気にする自己中心的な演技になります。

技術は道具です。大工が釘の打ち方を気にしながら家を建てないように、俳優も技術を意識しすぎてはいけません。技術は身体に染み込ませ、意識は常に「作品」と「相手」に向ける——これが俳優の仕事です。


抽象を具体に変える「代者」という魔法

脚本には抽象的な言葉が溢れています。

「親友」「好きな人」「信頼している」——こうした言葉をどう具体化するか。ここで登場するのが**「代者(サブスティテュート)」**という技法です。

代者の使い方

例えば、脚本に「ナギという親友」が登場するとします。

  • 抽象的なアプローチ: 「親友だから仲良くする」
  • 具体的なアプローチ: 「ナギ=自分の元カノ」「ナギ=弟」「ナギ=めちゃくちゃ嫌いなやつ」

実在の人物を当てはめることで、その人に対する複雑な感情が自然に湧き上がります。元カノなら、親しさの中にぎこちなさがある。弟なら、愛情と苛立ちが混在する。

この「個性」こそが、あなたにしかできない芝居を生み出します。


想像力を殺さないために

「人間は具体的な対象が決まれば想像できる」——これは脳科学の真理です。

脳は現実と想像の区別がつきません。だからこそ、具体的なイメージを持てば、身体は自然に反応します。

逆に言えば、「相手のことを考える」といった抽象的な指示だけでは、想像力は死んでしまいます。

脚本分析の本質

脚本分析とは、抽象を具体に変換する作業です。

  • 場所: 「港」なら、どんな港? 何が見える? 何の匂いがする?
  • 関係性: 「好き」なら、誰を当てはめる? どんな「好き」?
  • 状況: 「待っている」なら、何分待った? 相手は来ると思っている?

具体的であればあるほど、想像力は自由に羽ばたきます。


「主導権」と「崩し」——相手と創る芝居

芝居は一人ではできません。相手との相互作用こそが、演技を生きたものにします。

この日の稽古では、「主導権」の取り方・譲り方と**「崩し」の技術**に焦点が当てられました。

崩しの実践

相手の呼吸を読み、セリフを言う直前に動く——これだけで、相手の芝居のリズムが変わります。

相手が「結果にフォーカスした芝居」に陥っているとき、あえてそのリズムを崩すことは、実は相手への助けになります。流れを変えることで、相手を「今この瞬間」に引き戻すことができるからです。

主導権のバランス

主導権を握りすぎると、相手(特に主役)に負担をかけてしまいます。かといって、完全に受け身では芝居が停滞します。

優れた俳優は、主導権を「渡す」タイミングを知っています。


仲間を信頼する勇気

「セリフを飛ばすのが怖い」 「集中できなかった」

こうした言い訳は、共に作品を創っている仲間に対して失礼だと、この日の稽古で指摘されました。

言い訳は、相手の価値を下げることにつながります。「あなたの演技では私は反応できません」と言っているようなものだからです。

相手が必ず刺激を送ってくれると信頼する。

この信頼こそが、舞台上で奇跡を生み出す原動力なのです。


まとめ:プロセスを歩む旅へ

演技は、目標(結果)に向かって突き進むことではありません。

地図(具体的な分析)を手に、一歩一歩道を確かめていく**旅(プロセス)**のようなものです。

プロセスを大切にすることで、私たちは初めて自己意識という重荷を下ろし、自由に芝居を楽しむことができます。

この日の稽古で学んだ5つの核心

  1. 結果ではなく、プロセスを歩む
  2. 抽象を具体に変える(代者の活用)
  3. 想像力を最大化するために具体性を徹底する
  4. 相手との相互作用を大切にする(主導権と崩し)
  5. 仲間を信頼し、言い訳をしない

演技が変わる瞬間——それは、「見せる」ことをやめて、「生きる」ことを選んだ瞬間です。

そして今日、私たちはその入り口に立つことができました。