観客の心を揺さぶる演技には、何か特別な秘密があるのではないか。そう思ったことはありませんか?
実は、それは「秘密」というより「徹底的な修練」の賜物です。劇団の稽古現場では、俳優たちが自分たちの声や身体を「楽器」として扱い、セリフを「音楽」として捉えることで、観客を涙させるような本物の演技を生み出しています。
今回は、その稽古の現場から、プロの俳優たちが何をどのように磨いているのかをお届けします。
俳優は「楽器」を持っている
演技について考えるとき、多くの人は「感情表現」や「セリフの言い方」といったことを思い浮かべるでしょう。しかし、プロの指導者の視点は異なります。
俳優自身の声と身体が「楽器」であり、セリフは「音楽」である。
この捉え方が、演技の質を根本から変えます。
オーケストラの楽器奏者が毎日自分の楽器をチューニングするように、俳優も稽古を通じて自分の「楽器」を磨き続ける必要があります。では、その「チューニング」とは何か。
「死んだ楽器」になっていませんか?
稽古の現場で厳しく指摘されることがあります。それが「楽器としては死んでいる」という言葉です。
つまり、俳優が自分の声や身体の本来の響きを引き出していない状態を指しています。問題は、本人がそれに気づいていないということ。自分がどんな音を出しているのか、その基本を知らないと、チューニングは絶対にできません。
プロと素人の最大の違いはここにあります。プロの俳優は、言葉に対して深い理解と意識を持っています。だからこそ、観客は彼らにお金を払う価値を感じるのです。
自分の楽器を知ること。それが演技の第一歩。
倍音(バイ音)という秘密兵器
「大きな声を出さなければいけない」という思い込みは、実は演技を台無しにする落とし穴です。
指導現場では、俳優たちに「バイ音」を意識することの重要性が何度も強調されます。バイ音とは、声に含まれる豊かな倍音のこと。音量は小さくても、質の高い倍音を持つ声は、劇場の奥の客席にもしっかり届きます。
さらに驚くべきことに、こうした質の高い声を出し続けることは、音量に頼った発声よりも、俳優自身の身体にも良いのです。喉を痛めることなく、むしろ内臓の振動を通じて老廃物が除去されるという健康的な効果まで期待できます。
つまり、バイ音のある演技は、観客を泣かせ、同時に俳優自身の心身をも整える。それが本物の演技なのです。
セリフと身体のリズムが一致していなければ、観客には「キモい」と感じられる
演技では、見落とされやすいけれど極めて重要な要素があります。それが「リズム」です。
身体のリズムとセリフのリズムがズレていると、観客はそれを「不快」と感じます。なぜなら、人間の脳は、音と動きの調和を無意識に感知しているからです。
さらに細かく言えば、日本語の音すべてが同じ拍ではないという点も見落とせません。マ行やサ行は長さが異なり、「ちっちゃい『つ』」や「『ん』」の後の音は特に丁寧に処理する必要があります。雑に扱うと、それだけで芝居全体が台無しになってしまいます。
プロの俳優は、こうした細部にこだわることで、観客に「自然だ」「美しい」と感じさせているのです。
身体の使い方は、声と同じくらい大事
セリフを言うときの首の倒れ方、歩く動作での軸足の使い方、重心の移動—これらすべてが、演技の質を左右します。
特に大切なのが「軸足に力を残しておく感覚」です。一見、力を抜いているように見える瞬間でも、実は俳優の身体の中では緊張と弛緩の完璧なバランスが取られています。
また、声の出し方と身体の使い方は完全に連動しています。喉を絞めて大きな声を出そうとするのではなく、腹部に力を入れて息をコントロールする。そうすることで、喉は自由に響き、本来の魅力的な声が引き出されます。
身体と声が一致したとき、演技は初めて「本物」になります。
「嘘つきの声」で演技をしてはいけない
稽古で特に重視されるのが、その俳優本来の「いい音」を使うことの重要性です。
つまり、演じている時に普段の自分とは異なる声(「嘘つきの声」)を使うと、身体が連動しなくなり、本人も不安を感じるようになります。そして興味深いことに、人間が嘘をついているときは、瞬きが増えるという生理現象が起こります。それが観客の前で表れてしまうのです。
プロの演技に説得力があるのは、役を演じながらも、その俳優本来の「いい音」を失わないからです。そのバランスの取り方こそが、プロの技術なのです。
セリフがない場面でも、演技は続いている
多くの人が見落とす重要な指摘があります。それが、セリフのない場面での演技の在り方です。
プロの舞台では、相手がセリフを話している間、本来なら「お休み」に入ることはありません。呼吸を変えることで「話が変わったな」と観客に理解させ、セリフのない場面でも芝居を続けているのです。
3時間の稽古の間、俳優たちは一度も全力を抜くことなく、自分の楽器を鳴らし続けます。なぜなら、観客は舞台上のあらゆる瞬間を見ており、その時間は俳優が「命」を使って舞台に立っているからです。雑に行うことは、その命に対する冒涜に等しいのです。
自分の「楽器」の強みを活かしているか?
稽古現場では、俳優一人ひとりの違いが尊重されます。筋肉量が多く、無理な姿勢でもキープできる能力を持つ俳優。その強みを活かさずに演技をすることは「もったいない」と指摘されます。
人間の身体はすべて異なる楽器です。その違いを理解し、自分の楽器の独自の響きを引き出すことが、他の誰でもない「その俳優にしかできない演技」を生み出すのです。
セリフ読みと無音トレーニングで、毎日磨く
本物の演技を生み出すには、稽古の時間だけでは足りません。俳優たちは、セリフ読みや無音のトレーニングを継続的に行い、自分の楽器の音を良くするために努力し続けています。
これはスポーツ選手が毎日トレーニングを行うのと同じです。自分の楽器がどんな音を出しているのか、どの部分を改善すべきか。そうした地道な努力の積み重ねが、やがて舞台上で花開きます。
プロのオーケストラのように
今回の稽古内容を一言で表すなら、プロのオーケストラのチューニングです。
新しい楽器が最高の演奏をするには、まず自分の楽器の音色を深く理解し、その楽器が本来持つ響きを引き出す必要があります。音程がずれたり、強弱が合わなかったりすると、全体の演奏が台無しになってしまいます。
指導者が時に厳しい言葉を使うのは、俳優たちが全力で最高の音を出し続けることを心から求めているからなのです。
おわりに
舞台で観る素晴らしい演技は、一夜にして生まれるものではありません。
俳優たちが自分の身体を楽器として捉え、セリフを音楽として扱い、毎日地道に磨き続けた結果です。その過程には、厳しさもあれば、喜びもあります。
次に舞台を観るとき、ぜひこのことを思い出してください。舞台上の俳優たちの細部にこだわった動きや呼吸、声の響きに。彼らは、あなたの心を揺さぶるために、命を懸けて楽器を鳴らしているのです。
