コラム

コラム①「天文座が出来るまで」

おはようございます!本日より長期連載企画「天文座の歩み」を書いていきます。

劇団天文座が出来たきっかけや、また執筆している私、森本聡生の人生を振り返った内容になります。

さて、第一回目の今回は「劇団天文座が出来るまで」を振り返っていきます。

劇団天文座とは?

劇団天文座
  • 2020年8月10日に、東大阪に自分達の稽古場を構えて活動を開始
  • 森本聡生を中心に立ち上げた劇団
  • 一ヶ月に一度公演を行なっている劇団
  • 2022年6月15日より、現在の新大阪の稽古場に移転
  • 2023年2月現在、劇団員は24名。上演回数は25回。総ステージ数124

天文座立ち上げまでの経緯

劇団天文座を立ち上げる以前は、私、森本は別の劇団で活動していました。

「劇団さあもん」という場所で主宰として、脚本・演出・俳優として活動をしていました。

劇団員も増えて、力を付けてきた劇団でしたが、2022年7月末で解散することになりました。

理由は「コロナウイルス」です。

当時劇団員は38名在籍しており、第5回公演の直前でした。

緊急事態宣言により、公演は中止。劇団活動をストップする事態になりました。

劇団活動までに三ヶ月時間がかかり、緊急事態宣言が解除された6月まで時間が掛かりました。

その後、再び活動を開始したのですが、三ヶ月という時間と、コロナ禍で劇団員の価値観が変化していました。

職を失った者、学校に行けなくなった者

演劇をしている場合ではなく、生きる事で精一杯になった社会情勢でした。

それまで一つの目標に向かって進んでいた劇団でしたが、バラバラになってしまったのです。

また公共施設で稽古が出来なくなったり、借りれる時間が短縮してしまったりと

活動事態に制限が掛かりました。

公演を行なっても、お客さんを呼びにくい

モチベーションが下がっていったのは明白でした。

僕たちは解散するという道を選びました。

当時、団長をしてくれていた方と些細なことで衝突したのがきっかけでした。

演劇が出来ない事で焦っていました。

でも、冷静に振り返ると、あの時の自分の行動は配慮に欠けていました。

僕にとって団長という存在は、劇団という繋がりだけではなく

「友人」として大切な存在でした。

今でも、悔やむことがあります。

自分の人生の中で出来た、かけがえの無い友を無くすような言動を取った事を。

同い年で、演劇を辞めていた僕に、演劇を続けるきっかけをくれたのに。

でも、劇団には演劇に飢えている団員がいました。

東京で戦いたい。演劇で生きていきたい。

そんな想いを持って、自分に賭けてくれた劇団員がいました。

7月末で解散となった後、すぐに稽古場として利用できる物件を探しました。

そこで出会ったのが、東大阪の石切にあった物件でした。

これで演劇ができる。夢の続きを始められる。

そんな想いで活動を開始しました。

時間は有限です。

20代前半という人生で貴重な時間を使って

着いてきてくれた劇団員に少しでも恩返しがしたい。

当時の自分はとにかく焦っていたし、必死でした。

友を失ったこと、演劇を失った事。

でも、落ち込んでいる暇はなかった。

劇団を立ち上げて、公演をするという行動するしかなかったのです。

一緒に旗揚げをしてくれた

辻合直澄、広瀬ヒロ、堀田紹運、兵藤加奈

には、心より感謝しております。

あと二人メンバーがいたのですが、現在活動しているか不明なので名前は控えさえていただきます。

こうして2020年8月10日に劇団天文座は誕生しました。

自分達の稽古場を持った喜びは今でも忘れられません。

連載第一回目は「天文座ができるまで」として書かせていただきました。

かつて友だった彼も、今でも演劇を続けています。

なかなか気まずくて公演を観にいくことはできていませんが、

いつか観にいきますので、演劇を続けていてください。

天文座に関わってくれた人、公演を観にきてくれたお客様に

いつも感謝しております。