私が絵を描いているときと
私がお芝居をしているのときの違いってなんだろう?
絵を描いてるとき、次から次へとアイデアが浮かんで、
試して、上手くいかなかったら塗りつぶしてやり直して試して。
トライアンドエラー。
でも、最近(この半年くらい?)はそれを失敗だとは思わない。
浮かんだアイデアを他人に共有してみて理解されなかったとしてもとりあえず形にして見せて納得させる。
たとえば今回のチケット作りもそう。
一例にはなるけど、“切り取り線作りたい”という自分の願望とそれを実現するために必要なことをまとめて言葉だけで他人に説明したら、「無くてもいい」と言われた。
でもせっかくだから試してみた。
思ったより素敵なチケットができた。
(1)自分が作るものを信じれるから。
(2)イラストや絵画などの作品は1人で完結できるから。
(3)私が絵を描いてきた日数が長いから。
少し紐解くと、
(1)
20年以上描いてきていろんな感情を経たからこそ、
自分で作ったものは自分が信じれるようになった。
(2)
演劇と圧倒的に違うもの。
他者の存在。
自分からもコミュニケーションが必要。
今まで逃げてきた。ぴえん。
最近、頑張ってる笑
(3)
【幼稚園、小学校】他人の真似っこ
1番絵に関して記憶に古いのは、
延長保育での幼稚園の先生の黄色いカエルの絵。
そのカエルが可愛くて可愛くて真似して描いた。
でも、どうしても同じように描けなくて何回も描いた。
今思えば、どのカエルもそれぞれ可愛く描けてるのに、
その先生が描いたそのカエルを再現したかったのだろう。
他の子に構う先生を独り占めしたかったんだろうね。
小学校では写し絵などが流行ってたり、
あとは、“ちゃおスララ”でひたすら絵を描いてたり、
漫画は買ってもらえなかったけど友達の家に漫画を写させてもらいに行ったり、
とりあえず何でもかんでも真似っこして描いた。
線が汚いって悩んだり、写し絵以外は下手くそだって悩んだり。
でも、やっぱり絵を描くのは楽しかった。
※学校の課題の絵は親の趣向、親の筆が入ってしまうので好きではなかった。その反動で自分で好きなようにできる絵を描くときはひたすら自由に描いてた。
【中学校】依存
承認欲求満載の多感な頃。
漫画にも挑戦してた(完結した作品は無い)。
他人からの言葉に縋ってた。
でもその反面、隣のクラスのギャルな女の子が作るオリジナリティ溢れる素敵な作品に嫉妬したり、新しいものを作れない自分を恨んだりした。
【高校】アクティブ
ある意味1番積極的だった時期かもしれない。
親の筆だったタッチを自分のものにした。
大好きな絵師さんの絵を見るために
イラスト用のTwitterも始めた。
(今はもう無いよ)
あのときは怖いもの知らずでその絵師さんにたくさんリプを送ったりニコ生視聴して絵の描き方などを質問したりした。
その絵師さんが投げた下描きを描き上げたり、
いろんな画材で描いた作品を載せたり。
とりあえず積極的だった。
初めてグラフィックソフトを使ったのはこの頃。
フリーソフトのgimp。
ペンタブも持ってなかったので、
一生懸命マウスで描いて塗った。
やり方がわからないなりに一心不乱に調べた。
決して上手とは言えないけど、
今思えば、めちゃくちゃ魅力的な絵。
「絵が好き!」ということがめちゃくちゃ詰まってる。
たくさん調べて試行錯誤した結果。
イラストの指南書も馬鹿みたいに買った。
そのときはあまり本の内容の意味がわからなかったけどね。
【大学】やる気喪失
今までは、好きな絵を嫌いになることが嫌で、
美術部に入ることを避けていた。
ただ大学で美術専攻に入学し、
初めて義務感として美術を体験することになる。
義務感になると一気に崩れた。
教授の目を気にして(という言い訳)で
全然描けなかった。
4年間、何を描いたのだろう?
“逃げ”で作った作品ばかり。
絵画部で自由に作った絵のほうが丁寧だったりする。
義務感、とりあえずボロボロ。
幸いなことに絵を嫌いにはならなかったけど、
その4年間での私の絵に対する向き合い方は、
絵に対しての冒涜だと思う。
※自分の性癖に沿って丁寧に描いた作品より、サクっと綺麗な景色を描いた作品のほうが人気だったときに、絵を描くことが何かわからなくなってしまった。
これもまた承認欲求。
【現在】他者の目からの解放
卒業してから1年間は絵は描かなかった。
一度だけ絵では無いけど、
劇団さんのフライヤーを作った。それだけ。
1回目の緊急事態宣言で暇になったので久しぶりに絵を描いた。
案外自由に描けた。
誰の言葉もわからなかったので(末期ごめんなさい今は大丈夫)、
自分が自分の絵を信じるしか無い。
天文座に入団してたくさんの原画を描いている。
パソコンのみで作るのも良いけれど、
自分だから作れるものを、
そして、自分が作ってみたいものを挑戦している。
正解はわからない。
結果として、あのフライヤーが良かったと言われることはある。
もちろん私にもそういう感情はある。
あー、あのフライヤーは見にくいな、とか。
あのフォントは目に優しくない、とか。
次に生かせる。
ありがたいことにめちゃくちゃ自由に作らせてもらってる。
今の私は、絵だったら自由に作ることができるんだ。
その中で試行錯誤している。
というわけで
ふと、今急に思い出したことを書き出してみた。
書き出したことで、新たな発見がある。
今の役者としての広瀬の状態は、
【小学校・幼稚園】の時期を介してない【中学校】時期。
たしかに、大学演劇部時代は好きなお芝居の真似っこをしていたこともあったけど、圧倒的に量が少ない。
今は他人の言葉に縋って生きている。
自分で自分を評価できるようになったと豪語していたけど、そんなことない。ない!
【高校】の時期は、自分の意識だけでステップアップすることができる。
今までたくさん脚本の中身など調べたつもりではいたけれど、自分の絵に関する歴史と比較すると全然調べていない。
熱量が足りない。
脚本に対しての熱量が足りないのに、
役者として脚本の中の人物を生きる熱量が上がるわけがない。
上げようとしているだけ。
義務感にならないように気をつけてはいるので
演劇で【大学】の時期を経ることは、今のところ無いだろう。
自分の絵の歴史で、自由に開放できるように費やした期間は20年以上。
もちろん、お芝居でそんなに時間を掛けるつもりはない。
40歳過ぎちゃうよ
ステップとしてやるべきことが自分の言葉として明確になった。やるべき素材はこれまでの天文座での稽古にゴロゴロ転がってる。
自分が拾ってないだけ。
はっしーとのシーン稽古
後用があるので、今日は早めに稽古を始めた。
ストレッチ→筋トレ→体幹→発声
発声は、お腹に手を当てると微かに手の平に振動が伝わるようになってきた。
その調子。
はっしーと2場を3回ほどやった。
1回目:いつもと違うことをやりたいだけのために熱量を下げてやってみた(はっしー森本君とのシーン稽古
に追記)
2回目:ちがうちがうそうじゃないネタを千夏からやることに。確かに可能性はあり得る。
3回目:何かがあって、アクションが大きく動いたと思ったけど、その後のはっしー&森本君とのシーン稽古が衝撃的過ぎて全部記憶飛んだ。1回目と2回目も微かな記憶を頼りに書き起こしてるから違うかもしれない。
「英二と千夏の関係性が見えない」
「(エネルギー使ってるはずだったら)何回もなんでできるの?」
そのあと、私が何て聞いたのか思い出せない。
「関係性とかアクションって目的に自然に出すものじゃないの?」「考えてきたことが自然に出るのが良い状態じゃないの?」「アクション・関係性を出して良いの?」
だったかな。たぶんこの辺りだと思う。
すると、言葉より体験……、ということで、
はっしー&森本君&広瀬の3人でシーン稽古始まる。
はっしー&森本君とのシーン稽古
初めて稽古場で演るシーンだった。
ただただ森本君の涼太に圧倒した。
シーンが終わった後もしばらく、
鼓動が荒くなったまま興奮状態にあった。
今まで自分が自分の限界だと感じていたエネルギー量よりも遥かに高い森本君のエネルギー量で目を覚まされた気分だ。
芝居がセリフセリフで止まらない、ということも実感した。
なんだこれ。
この稽古期間、役者としては台本を読んでいなかった森本君にエネルギー量で叶わない。
悔しかった。
そしてやはり、森本君は一切共演者に触れなかった。
触れなくても心を動かせる。
止まらない森本君のアクションを止めるという広瀬のリアクションが生まれた。
これがリアクションか……。出そうとしてない、出た。
9月にも森本君とエチュードをした記憶がある。
でもそのときに私はその圧力(アクション)のことを理解することすらできなかった。
アクションという事柄は知っていたけど、
理解ができていなかった。
理解できていなかったから、自分が変わることもなかった。
ただただ森本君のセリフに負けて、森本君がセリフを言い終わるのを待つor黙るor困る。
“変わっていない”というのはこういうことだったのか。
頭ではなく、体で理解した瞬間だった。
そういえば、アクショニングエチュードを始めてからは、
初めて森本君とお芝居をした気がする。
エネルギー量をまだまだ出せるということに気付かされたので、今の私のエネルギー量を下げることは適策ではない。
(はっしーとのシーン稽古
)
今までのエネルギー量が最低ラインなのかもしれない。
“ここから、ここから”のときに言われていたことはそうだったのか?
また覚えてたら聞こう。
目的の緊急性。
目的はシンプルに。
目的に沿ったアクション。
メモ
◯演出家に見せてる。この言葉を重く自覚した日だった。
家で考えてきていないわけではないが、
ただ稽古場で、演出の言われた通りの行動しかしない。
共演相手でもなく、お客様でもなく、
演出家だけに見せてる。
はっしーとの2人でのシーン稽古の私はそうだった。
もっと遊べるはずなのに、型にハマってる。
型にハマってることに気付かない。
挑戦していると思ってしまってる。
気付けて良かった。
◯人の顔色を伺わない。
ただでさえ日常生活で過剰なほど不必要に人の顔色を見て行動してしまっているので、お芝居の中だけでも自由に傲慢に生きていこうや
森本くんが劇の虫の稽古である日を境に変わったとき、
●台本を読み込む(なぜこの行動をするのか?)だけ。自分が信じる根拠を増やす。
●稽古場ではただやるだけ
●“出す”練習はしていない
●本を読んで勉強
◯言葉がわからなくても何が起こるのかを見れると理解できる。
例)宇宙語エチュード。字幕・吹き替え無し外国映画。